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心がほっとリラックスできる禅語

心がほっとリラックスできる禅語

生きているといろんなことがありますよね。精神的なダメージを受けてもう立ち直れないと感じたり、普段だったら気にも留めない誰かの言葉に囚われてしまったり。

疲れが溜まっていて、ひとに会うのも面倒だと感じるときもあるでしょう。そんなとき、わたしたちの日々の暮らしに光を照らしてくれる心の処方箋になるのが禅語です。

以前マインドフルネスになれる禅語をご紹介したことがありましたが、今回は心がほっと穏やかに、リラックスできる禅語をご紹介します。

禅語とは

禅語とは禅僧の暮らしや修行を通して得られた智恵を、わかりやすく表した言葉です。禅語の”禅”とはサンスクリット語の「ディヤーナ」を音訳した「禅那(ぜんな)」に由来しています。

「禅那」は「心が落ち着いている、心が静まっていること」という意味です。

禅を通じて心のなかで悟りを理解することを重んじており、生まれながらにして持つ本来の自分に戻ることを目的としています。

禅宗では「禅問答」という悟りを開くために師匠と弟子が行う問答や、ひたすらに坐禅をする「只管打坐(しかんたざ)」、日々の暮らしを修行の場として料理や掃除、食事などに無の心で務める「作務(さむ)」を大切にしています。

禅語はわたしたちにさまざまな気づきを与えてくれるのです。

禅の教え

禅においては過去現在未来は一本の線のように繋がっているわけではなく、”現在”という点の連続であると考えられています。

過去の後悔栄光などに執着しない。まだ来ぬ未来に対して不安や期待を持たない。「今、この瞬間」自分ができることを全力で行いなさいというのが禅の教えなのです。

リラックスできる禅語

リラックスとは心と体の緊張を解きほぐし穏やかな状態になることです。

仕事や家事、育児など忙しない日々を送るなかで、みなさんはリラックスできる時間はありますか。ここからは心をほっとさせてくれる、肩のチカラを抜いてリラックスできる禅語を4つご紹介します。

本来無一物(ほんらいむいちもつ)

本来ひとは何も持たないで生まれてくるのに、地位や名誉承認欲求などさまざまなものに執着をしてしまいます。執着に強く囚われると、それを失う怖さから状況を変えないように自分の行動をコントロールしようとします。

それは本当に自分が望んでいることなのでしょうか。

本来無一物という言葉は、もともと何も持っていないのだから、自分の心と体に耳を傾けてありのままに素直に生きていこうとわたしたちに教えてくれているのです。

安閑無事(あんかんぶじ)

代わり映えのない毎日に、物足りなさを感じて不満を抱くこともあるかもしれません。

安閑無事という言葉は、何も心配せずに穏やかな心で暮らせることがどれだけ尊いかに気づかせてくれます。

今日という一日が、昨日と同じように無事故で終わることに感謝の気持ちを持てば、変わらない日々もかけがえのないものに感じられるのではないでしょうか。

照顧脚下(しょうこきゃっか)

自分の足元をきちんと見よ」という意味の照顧脚下という禅語。よく禅のお寺の玄関に掲げられている言葉ですので、靴をきちんと揃えるという意味にも取れますね。

今ここに集中せずに先へ先へと慌ただしく意識を向けるのではなく、自分自身が今立っている場所を確認しましょう、と解釈できます。

目標のために頑張る毎日のなかで、自分を見失いそうになったとき一度立ち止まって見つめ直す、そんな時間が大切なのではないでしょうか。

心を込めて「今、この瞬間」を丁寧に生きていきたいですね。

春有百花秋有月(はるにひゃっかあり あきにつきあり)

禅は””を悟りの象徴としているため、禅問答には”月”がよく用いられます。春有百花秋月有という言葉は、禅で有名な以下の「無門関」にある詩です。

「春有百花秋月有(はるにひゃっかあり あきにつきあり)

 夏有涼風冬有雪(なつにりょうふうあり ふゆにゆきあり)

 若無閑事挂心頭(もしかんじのしんとうにかかることなくんば)

 便是人間好時節(すなわちこれ じんかんのこうじせつ)」

「春は百花爛漫に咲きほころび、秋は月が美しい。

 夏は涼しい風が吹き、冬は真っ白な雪が降る。

 もしあれこれとつまらないことで思い煩ったり物事に執着したりしなければ

 いつでもわたしたち人間にとって物事を為すのに良い時期である。」

日本には四季があります。春は桜や菜の花が美しく咲き誇り、夏は花火やお祭りで賑やか、秋は読書や芸術でしょうか。そして冬に楽しめる雪景色や温泉。

忙しい日々、スマホはちょっとカバンにお留守番させて、通勤・通学路や近所の公園で季節の移ろいを心と体で感じる時間を作ってみませんか。風の匂いや空の色、雲のようす、湿度や温度。「今、この瞬間」の季節をゆっくりと深く観察することで、心はきっと穏やかになるでしょう。

そっと寄り添ってくれる禅語に触れて心穏やかに暮らそう

今回は心がほっと穏やかにリラックスできる禅語をご紹介しました。

心が弱っているとき、何でもない一言に傷ついてしまったり、ストレスが溜まって余裕が無くなったりすることってありますよね。

また時間に追われてあっという間に毎日がなんとなく終わっていくのではなく、今日も全力で頑張った自分を認めてあげられるように。そんなときに心を穏やかにして肩のチカラがふわっと軽くなるような禅語に触れてみませんか。

皆さんの毎日が心穏やかでありますように。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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