合掌のこころと意味

 お互いに尊重し合い生活していくことは人間社会にとってとても大切です。しかしなかなかそのような人間関係を築いていけないというのが現実です。当サイトでは、身近な人に対して「合掌」手を合わせていくこと通じて、お互いがお互いを敬い合える関係を育てていきたいと考えています。

合掌とは?

 合掌とは手を合わせることです。あなたはどんな時に手を合わせ「合掌」しますか?

 神社やお寺でお願いをするとき、亡くなられた方に対して…、食事で「いただきます」と言うときにも合掌することがあります。また、誰かに心の底から謝罪したり、お願いをしたりするときにも合掌することがありますね。

 このサイトでは、特定の誰かではなく、身近な人から、日々出会う人々に対して、敬いの気持ちをもって「合掌」していくことを紹介しています。

合掌と敬いの心

 古い経典(仏教の書物)にある修行者の物語があります。

 その修行者は出会う人ごとに「わたしは深くあなたを敬います。決して軽んずることはありません。なぜならあなたは仏の悟りを探求し、やがて仏となるでしょうから」と言って、ただ深く人を礼拝するのをその修行としていたといいます。

 けれども、この修行者に出会った人々は、彼の言葉を信ぜず、かえって彼を軽んじ、石を投げ、杖で打ち、さんざんに迫害しました。それでもその修行者は「深くあなたを敬う」と続け、一生涯出会う人ごとにただ礼拝をしていったということです。

「雨ニモマケズ/風ニモマケズ…イツモシヅカニワラッテヰル…ヒドリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ/ミンナニデクノボートヨバレ…」

 近代文学の宮沢賢治の『雨ニモマケズ』のモデルもその修行者であったとされています。

 わたしたちはその修行者の「人を敬い、ただ礼拝を行ずる」姿勢を、身近な人から、日々出会う人々に対しての「合掌」から始めていきたいと思っています。

 しかし人を敬うことは簡単なことではありません。謝罪でもお願いをするときでも、合掌をするときには、わたしたちはまるで自分が相手より下であるかのように感じてしまいます。

 それは本当に相手を敬うことになりません。敬い尊ぶとは、相手を上に見ることではありません。また相手のどこかを自分なりに評価することでもありません。敬うことと打算や評価は相容れないのです。

 心理学者エーリッヒ・フロムは言います。

 「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」。

 人を敬うとは難しい。誰でもが『雨ニモマケズ』のようにはなれません。

 しかし、その難しさを超えて、もしお互いがお互いを本当に敬い合うことができたらどうなるでしょう。そしてその敬いの心が社会全体へ広がっていった時にはどうなるでしょう。その時、社会のさまざまな問題や、わたしたち各々が日々抱えている問題はどうなっていくでしょう。そのような人と人との関係、そのような社会をわたしたちは目指しています。

 それでも敬うということは難しいのは確かです。そこでまず「合掌」をする、人に対して手を合わせるという形から入っていくのです。

 日本では、インドやタイのように人に対して合掌する習慣は希薄です。だからこそ良いのです。他のアジア諸国のように習慣化しておらず、簡単な動作でありながら、それが敬いの心へと繋がっていきます。ありのままの人をありのままの自分でありのままに合掌する。

 ぜひ、あなたも身近な人から「合掌」を行ってみてください。