合掌の由来・歴史

 合掌の起源は礼拝をする仕草です。仏さまの教えには、十本の指を真っすぐ伸ばし、左右の手の掌を合わせて礼拝する様子が描かれます。

 インドでは、右手を「清浄なる仏の世界」とし、一方左手を「不浄なる世俗」、つまり私たちを表すとしています。合掌をもって礼拝するというのは、穢れ無き仏と迷いある自身を一つにしながら精神統一を図り、仏さまの智恵と慈悲の御心をいただきたいという、素直で偽りのない祈りを表現しています。

 私たちの心模様は目の前に起きる出来事によってコロコロ変わります。いつくしみ、いたわりの心(仏)もあれば、ねたみ、そねみ、うらみの心(地獄)もあります。

 一瞬一瞬で仏となり、時には地獄に落ち、そんなことを繰り返しつつ…。

 合掌はそんな私たちの心を変えるチカラがあります。私たち(左手)が近付こうとすれば、自ずと仏さま(右手)は近付いて下さいます。

 心静かに手を合わせ、仏さまと一体となり、「自分とは何なのか?」を見つめ直す中で、先祖のおかげ、親のおかげ、家族のおかげ、先生のおかげ、上司同僚部下のおかげ、友のおかげ、世間のおかげ、自然のおかげ・・・知らず知らずに自身を支えてくれるすべてに気付く感謝の心を養う、これこそが合掌です。

 アジア諸国では合掌して挨拶する姿がよく見受けられます。
 「ナマステ~!」
 インドの挨拶の言葉ですが、「こんにちは」、「どうも」といった程度に捉えているのではないでしょうか?

 実は「ナマステ」は「ナマス」と「テ」に分けられます。「ナマス」は敬服する、尊敬する。南無(仏さまに対する帰依の言葉)もこの語が由来です。「テ」はアナタという意味です。「ナマステ」と挨拶するときは胸の前で手を合わせ、お辞儀します。つまりは相手に敬意を表する挨拶なのです。

 他を受け入れ、敬い、そして自身を尊び、「やすらぎ」を得ることの出来る合掌。手と手のシワを合わすと「合わせ」、世界、国、家庭、そして自分、四つのそれぞれの和が合わさったときに、初めて本当の「しあわせ」は訪れる。仏さまの御教え、日蓮聖人のお導きは、自身のみならず、全ての安穏を願うものです。

 日蓮宗は750年の歴史がある伝統仏教教団です。
 現在『いのちに合掌』をスローガンに社会に対して合掌を広める活動をしています。
 合掌による安穏な日々を心掛けてみませんか??